だって、そんなこと言ったって……

人として生きる上で、どうしても反故に出来ない約束があるように、誰にだってのっぴきならない便意というものがある。

その日私はそののっぴきならない便意に心を掻きむしられながら、唇を強く結び少々内股気味にトイレの個室に駆け込んだ。

ものすごいその切迫感ゆえ、私自身「もぉ、どうにでもなれ~」といささか投げやりになってはいたのだが、大方の予想および私自身の諦念さえも裏切り、私は「大人のくせにウンコをもらす」という絶望の淵から何とか生還することが出来た。

ぎりぎりセーフということで、ようやく大人としての冷静さを取り戻した私は、トイレットペーパーのロールを廻しながらふと前方の壁に何やら書かれているのを発見した。

「右を見ろ」

そこにはそう書かれていた。

新しいタイプの落書きだろうか?

私はお尻を拭き、フッと消えるように微笑みながら、壁のメッセージに忠実に右の壁に首をめぐらせてみた。

「左を見ろ」

今度はそう書かれている。

私は肩をすくめ、やれやれと小さくかぶりを振った。

まったく、最近の子どもは大人を何だと思ってるんだ?

神聖なるおトイレで、大人をからかうのもいい加減にしてくれ。

私はそう思ったが、乗りかかった船だ、仕方がない。

今度は左の壁を見つめてみる。

「後ろを見ろ」

私は深いため息をついて立ち上がり、ズボンを上げた。

後ろの壁を見つめてみたが、そこには何も書かれてはいなかった。

何だ、もう終わりなのか?

子どもは根気が無くていけない。

私はベルトを締め、もう排泄物を流して外に出ようかと思ったが、後ろの壁をよく見てみると、何か小さな文字が書かれていることに気がついた。

仕方がない……子どもの遊びにもう少し付き合ってやるか……。

私は後ろの壁に身を乗り出して、そこに書かれた小さな文字を凝視した。

そこにはこう書かれていた。

「ったく、お前は……キョロキョロすんな!」

私は数十秒間その文字を凝視し、なんだか切なくなってトイレを後にした。

だって、そんなこと言ったって……。